日本福祉文化学会

福祉文化批評 
   福祉文化批評のページにようこそ!

 社会福祉の分野では、日々いろいろなことが起こっています。制度の改革、新鮮な実践活動、感動的な出来事もあれば、忌わしい事件もあります。それらを「文化の眼鏡」をかけて見つめ直すのが「福祉文化批評」です。客観的な分析もあり、辛口の批判もあり、共感も称賛もあります。文化という切り口から福祉の今を考える批評のページにどうぞご参加ください。
 
     
  〈福祉文化批評 第2回〉 平成28年7月

介護の根本にあるものは?
(薗田碩哉/日本福祉文化学会顧問)


 3年前に出版された六車由美氏の『驚きの介護民俗学』(医学書院2012年)を読んだときの?驚き’は今もって新鮮である。学問が持っている無限の可能性を改めて感じるとともに、私たちがいかに小さく凝り固まった常識の中に閉じこもっているかを痛撃された思いであった。
 民俗学の研究者であった著者は敢えてその職を離れて介護職の道を選ぶ。介護の現場で著者が改めて発見したのは「介護現場は民俗学の宝庫である」ということだった。これは民俗学の基本的トレーニングを受けてきた著者なればこその発見だが、言われてみれば誰にも納得できる事実であろう。70年も80年も生きてこられたお年寄りたちは、この間の日本社会の激動を我が身に引き受けて自らの人生を編みあげてきたのだし、また個々人のそれぞれ異なる生き様が絡み合って、総体として日本の戦後が作られてきたのだから、民俗学の代表的な手法である「聞き書き」によって実に多種多彩な民族の歴史を再現することができるのは見やすい道理である。
 介護とは単に「食う・寝る・排泄する」の援助をしたり、認知症予防の対策として体操やレクリエーションをやることに矮小化されるべきではない。むしろその基本は、この時代を作りあげ、やがて舞台を去っていこうとしている現世代から、次の世代がその成果や課題をしっかり受け止め、新たな時代を築くための糧とすることでなければならない。時代を生き抜いてきた人々の身体と心に刻み込まれた記憶を掘り起こし、記録して定着させることが、その人を人として尊重するということであり、そこに介護の根本があるのだ。
 現在の介護現場でも「聞き取り」は行われている。その中でも「回想法」と名付けられた手法では、精緻に組み立てられた手順によって対象者の回想を促し、それによって対象者の心理的・身体的な活性化を促進する上で大きな効果があるという。だが、回想法においては聞き手が記録を取ることは禁じられている。記録するためでなく、相手と全面的に向かい合うために聴くことを求められるからだという。
 そこでは、高齢者の「語り」の内容に焦点があるのではなく、語らせることの治療的効果が目指されていることがわかる。六車氏は、はじめは民俗学と回想法の類似点に注目して、大いに期待を持って取り組んだのだが、次第に回想法の進め方に違和感と疑問を持つようになっていく。ここでは明らかに「語り」の主体を巡る権力のあり方が問われている。回想法の語り手は治療の対象者と見なされ、主体は聞き手の方にあり、語りは徹底して手段化されているのである。他方、民俗学では、語る人こそが歴史の主体であり、聴く人はそれによって語り手の世界に参加させてもらう従属者である。介護とは、生活の自立を失いがちな人々に必要な介助を行い、それによって一人のかけがえのない人間が主体的に生き抜くことを支援することではないのか。
 すでに国民の四分の一以上が65歳を超える今日、介護問題が喫緊の国民的課題であることは言を俟たない。しかし、介護の根源にあるべき発想は効率の論理や経済性や操作性の論理でなく、人間の尊厳を土台に置いた「主人公としての人間」への眼差しでなければなるまい。


 
   

〈福祉文化批評 第1回〉 平成28年2月

賭け事は介護予防に役立つ
(薗田碩哉/日本福祉文化学会顧問)

 パチンコやマージャン、さらにはカジノなど「アミューズメント型」の活動を導入するデイサービス施設が増えているという。確かに、懐かしい唱歌をのんびり歌ったり、手遊びや歌遊びを長閑に楽しんだりするプログラムに比べれば、疑似通貨ではあってもお金まがいのものをやり取りするのは参加者の引き込まれ具合が格段に強くなるのは頷ける。デイサービスで歌なんか歌わせられるのはまっぴら、と思っている男性高齢者などは真っ先に飛びつきそうな気もする。

 ところがこうした傾向に規制をかける動きも出てきた。2015年10月16日の日経新聞が「模擬カジノ規制に困惑」という見出しで、同年9月に神戸市が「射幸心をあおりかねない」という理由で娯楽サービスを規制する条例を作り、10月には兵庫県もこれに追随したと報じた。賭け事依存症を引き出す危険があるというのだ。その後10月26日には朝日新聞もこの話題を取り上げ、「介護士施設に『カジノ』効果は」という見出しに、カジノを楽しむ男女の高齢者のカラー写真まで添えて詳しく報道した。どちらの記事も賭け事への懸念とともに高齢者の自立に効果があるという肯定的な意見も載せている。

 同じ26日の東京新聞の「本音のコラム」では看護師の宮子あずさ女史がこれを取り上げ、デイサービスに求められているのは機能訓練ばかりでなく社会性の維持も大切で、ゲームにはそうした効果もあるとして、マージャンは頭も使い対話もあるからOK、「老いた私なら、風船バレーよりマージャンができるデイサービスかな」と推奨している。

 さてこの賛否両論をどう考えたらいいだろうか。「賭け」という行為には人に主体的な決断を迫るという点で精神的な強さにつながる積極面と、賭けに溺れて身を持ち崩しかねないリスクもある。年金をパチンコや競輪につぎ込んで生活が破たんしたという高齢者の話も聞く。とはいえ、デイサービスでは現ナマを賭けるわけではない。あくまで疑似通貨を使った遊びの世界である。それにまで「依存症」を心配して規制をかけようというのは、筆者にはいささか行きすぎと感じられる。そこには、福祉サービスの利用者には賭け事などとんでもないという福祉現場に固有の禁欲的な文化の存在が感じ取れる。娯楽に対して抑圧的な劣等処遇原則の残滓だと言ってもいいかもしれない。

 一般社会は賭け事についてはよほど寛大になっていて、イギリスのように賭博罪を廃止して、だれもが自由に賭けを主宰できる国さえある。日本の賭博法は古風に厳格で、マージャンに1円賭けても処罰されるタテマエになっている。とはいえ、競輪競馬のような公営競技はお目こぼしで、何十万円賭けてもお構いなしというのはいかにもご都合主義である。実際、競輪場に行って見ると、来ているのはほとんど高齢者で圧倒的に男性。誰もが競輪新聞を手に、耳にちびた赤鉛筆をはさみ、しきりに印をつけながら必死に考えている。考え抜いて買った車券が当たれば大儲け、外れれば破り捨てて紙ふぶき。誰にも文句の言えない自己責任の世界である。これこそ高齢者の主体性の確保に適い、認知症予防の効果も高いと思うがどうだろうか。


 



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